こんにちは。
うちだ広大です。
映画ドラえもん「のび太の宝島」が大ヒットしているそうです。
子供だけではなく、親世代も巻き込んで、親からの評価もものすごく高く、「STAND BY ME ドラえもん」の時の「泣けるドラえもん」が再びと言われています。
私は、妖怪ウォッチの映画もすごくよかったのですが、流行に陰りがある妖怪ウォッチはドラえもんのようにならなかったようです。
「追記」今回の映画は4月15日付で興行収入50億突破と歴代最高だそうです。
3作連続で前作越えになり、前作も感動したのですが、今回の宝島は、子を想う親なら確実に泣ける。
そんな映画だったと思います。
なぜこんなに親世代が「泣ける!」と評判になったのでしょうか?
様々な分析をビジネス的にしている人はたくさんいましたが、私はブログ集客をする観点での見方から、なぜ感動する「親」が多かったのか?
その理由をブログ集客の観点から考えてみました。
物語のあらすじ
実はこの映画キャッチコピーがありました。
【見つけたのは、宝物以上の、宝物。」「勇気と友情は、海賊にも奪えない宝物だ。」「その島を作ったのは、愛でした。」】
キャッチコピーは全く知りませんでしたが、映画を見た後にこのキャッチコピーを読んでみると「なるほど!」と思います。
あらすじ
宝島を発見することをジャイアンたちに宣言したのび太は、ドラえもんのひみつ道具「宝探し地図」を使って、宝島を探すことになった。その地図に指し示された場所は、太平洋上に新しい島が突然現れ、のび太たちは「ノビタオーラ号」と命名された船に乗って、島を目指そうとするが、あと少しで島に上陸する手前で海賊たちに襲われ、しずかがセーラと間違えられて海賊船にさらわれてしまう。海賊たちが逃げた後、のび太たちは海に漂う少年・フロックとペットのオウム型ロボット・クイズに出会う。フロックは海賊船から逃げたメカニックで、宝島の重要な秘密について知っていた。その後、のび太たちは海賊たちからしずかを助け出そうとし、宝島に眠る財宝に隠された秘密を探る。
脚本は君の名は。などで知られる「川村元気」さん。
「君の名は。」をプロデュースして大ヒットさせた河村元気さんが今回書き下ろしの脚本を書いているそうです。
主題歌も親世代に人気のある「星野源」曲が「ドラえもん」というどストレートな曲ですが、聴いていたら意外にハマります。
曲の中の間奏には、旧ドラえもんのメロディー「ぼくドラえもん」が流れるなど懐かしさを感じさせる曲でもあり、親しみやすさを感じます。
今回のドラえもんで初の脚本だった川村さんは、このように言っています。
”ドラえもん」を卒業しちゃった大人たちも戻ってこられる映画が作れたらいいな、と。”
この言葉通りの映画になっていると思いました。
子供のために仕方なく一緒について行くという映画から、大人が観ても楽しめる映画になっています。
随所に親世代が楽しめる仕掛けが入っていた。
主題歌が星野源さん起用もそうなのですが、小ネタが結構入っているんですよね。
声優で起用の大泉洋さん愛が映画の中に見受けられたり、「金曜ドラでしょう」というポスターがのび太の部屋に貼ってあったり。
ドラえもんの8頭身の気持ち悪いポスターが貼ってあったり、最後のセリフが、しずかの父が「のび太の結婚前夜」でしずかに言ったセリフをフロックとセーラの母フィオナが言っていたことなど、実際はもっと沢山の旧ドラえもんへのオマージュが入っているそうです。
私は、あまり気づけなかったのですが、探してみると親世代の楽しみがもっと増えるのではないでしょうか。
普通の家族にもある当たり前の光景が感動を誘います。
この映画は、親が子を想う気持ちと、子が親にもっとわかって欲しい、認めて欲しいという想いがすれ違っていきます。
冒頭にのび太が、TVのニュースに出てきた新たな島に宝探しにいくと言ったところ、ママに「宿題をやりなさい!」と怒られてしまいます。
「パパならわかってくれるよね?」とパパに同意を求めたところ、ままの顔色を伺ったパパは、「宿題を終わらせてからだな」と言ってしまいます。
裏切られた!と感じたのび太はそのまま泣きながら家を出てしまいます。
その時に出ていくのび太の背中を見つめるパパの顔に私は、少しうるっときました。
このような出来事って子を持つ親なら誰でもイメージできる描写ではないでしょうか?
最近の私は涙腺が弱いのかもしれませんが、このような日常にある当たり前の描写に反応してしまいます。
幸せな家族からの崩壊がどこの家にでもあるかもしれないというメッセージにも感じる描写
この映画ドラえもん のび太の宝島の物語は、後半は親子の絆、フロック、セイラと彼らの親、シルバー、そして、子供達の幸せを夫シルバーに託しながら亡くなった彼らの母フィオナのストーリがメインになります。
科学者であった、シルバーと天才科学者であったフィオナ。
最初は、家族4人がとても仲が良く、父に憧れ、父が大好きな息子。
優しいお母さんが大好きな娘。
そんなどこにでもある、幸せな家族です。
妻亡き後、一所懸命に父親をしようと、なれない朝食のままがいつも作っていたフレンチトーストを失敗するシーンや、母親の死を受け入れらないフロック。
まだ幼いセイラ。
次第に母親を失ってしまった親子の溝は深まっていきます。
子供たちのことを想いながら頑張っていたシルバーでしたが、子供たちの未来を託して死んでしまった妻の死から、父であるシルバーは何かに取り憑かれたように研究に狂っていきます。
本当は、ただ一緒にいたいだけなのに、子供らしく家族で一緒に暮らしたいだけなのに、狂気じみた父には全くわかってもらえません。
いつしか、息子のフロックは父を憎むようになって行きます。
本当は大好きなお父さんなのに。
わかってもらえないという思いから憎んでしまうのです。
愛情が執着に変わってしまった時にすれ違いが始まってしまうのだと思う。
妻を想う夫の夫婦愛、そして子を想う親の愛、親を想う子供の愛などすべての愛情がすれ違っていく場面の描写が惹きつけられ、感動させる物語になっています。
親が子供を愛することは当たり前です。
しかし、時にはその想いは子供には伝わらないものです。
シルバーは、地球が崩壊するという未来を見て、「子供達を守る」ために研究に没頭します。
そして、その「子供たちを守る」というのは、愛した妻からの最後の願いだったのです。
愛する妻の言葉をしっかり守るために、シルバーは研究に没頭し狂気的なっていきます。
本当は、大好きな子供たちを守るために研究しているのに、妻との約束を守るために頑張っているのに、いつしか執着に変わっているように感じました。
本当はそんなことが子供を守ることではないとわかっていたはずだと思いますが、最愛の人を失ってしまうと、何かに没頭しないと心が保てなかったのだと思います。
そんな状況から、親子はすれ違って行きます。
子供のためにすべてを捧げて悪にも染まっていく父。
そんな父に自分を認めて欲しいと、また普通に暮らしたいと願いながら、いつしか憎しみに変わってしまった息子のフロック。
二人の執着がすれ違いを生んでしまったのだと思います。
これはどの家庭にでもあるように感じます。
だからこそ、自分の家族をイメージしながら感情移入をして観ていました。
様々な正義があり、お互いを受けいれることで絆を取り戻す描写が感動を呼ぶ。
脚本を書いた川村元気さんは、インタビューでこのように述べています。
”「映画ドラえもん」には必ず悪役が出てくるのですが、昔のように勧善懲悪にはならないというか、今はテロリストですら正義を主張していて、正義と正義がぶつかって戦争が起きている。今回、のび太たちを襲う海賊船のキャプテン・シルバーも、彼なりの正義があることを描きたいと思いました。”
今回の悪役である父シルバーには、子供達をなんとしてでも守るという妻への愛と、親の愛が正義です。
その正義をなんとしてでも全うするために「執着」に変わってしまう。
「こうあるべき」が周りが見えなくなっていったのです。
劇中にシルバーが「お前たちは子供だから、まだ分からない」
「子供のためだ」とフロック、セイラ、ドラえもんたちに言います。
この言葉、親と子を隔ている壁を集約する言葉だと思います。
そんなシルバーに、のび太は、「大人は絶対に間違えないの?」「僕たちが大事にしたいと思うことは、そんなに間違ってるの?」
と劇中にハッとさせられる言葉を投げかけます。
親や、時に親の都合で、子供の意見を聞かずに、親の価値観を押し付けてしまうことが日常的にもあります。
大人と子供を線引きしてしまう場面って多いように感じます。
子供はそんな言葉でも、ショックを受けてしまう場合がある。
シルバーは、自分だけが背負おうとして、子供には未来が崩壊するという事実を説明しなかったし、自分がやっていることをわかってもらおうという努力も相手が「子供」だからしませんでした。
子供は、意外にもまっすぐ、正しさを持って見ています。
子供にも、子供の考えがあり、親を理解しようとしているのです。
そして、実はフロック達は、父であるシルバーのことをしっかりわかっていました。
しかし、自分たちを「わかってくれない」「認めてくれない」という思いから反発していたのではないでしょうか。
これは、思春期の子供にはあることだと思います。
クライマックスでは、息子のフロックが、科学者でもある父を超えるというシーンがあります。
「フロック。腕を上げたな」
「当たり前だよ!パパの子なんだから」
地球のエネルギーを奪おうとする父シルバー、それを防ごうとする息子フロックのメカニックでの対決。
フロックが父に勝った時に、初めて言ってもらえた父シルバーの言葉。
その時のフロックの返事に、シルバーはハッとします。
そして、「うちへ帰ろう」というシルバーの言葉。
その言葉を聞いた、フロックが父シルバーに言って抱きついた言葉。
「ごめんなさい!苦しんでいたの、分かってたのに」
父に認められ、自分の寂しさや、承認欲などもも受け入れることができたからこそ、出てくる言葉です。
ここで、さらに泣かされました。
私は、特に子供達になかなか会えない状況なので、かなり感情移入して観ていました。
どんなことがあっても親は子を想う気持ちの描写があるから感動を生んでいる。
冒頭では、パパに怒られて、宝島の冒険を否定されたのび太でしたが、パパものび太くらいの頃、この冒険のきっかけとなった「宝島の本」を読んでいました。
最後のシーンで、その本をのび太に手渡します。
のび太に言いすぎたかな?と思いながら、自分も子供の時は、宝島を探したよとのび太の気持ちを受け入れるパパ。
父親って母親と違って、素直に子供に謝れなかったり、愛情を示すことが下手くそだったりします。
何も言わなくても子を想っている。
子供には理解されずに、嫌われているかもしれないけど、子供のことを本当は愛している。
そして、子供は大好きな親に認めて欲しい!構って欲しい。
そんな親子の愛に感情移入させられた映画だったと思います。
親子の絆以外にも、ジャイアンとスネ夫、ドラえもんとのび太などの友情もあり、子供だけではなく、家族の日常を描写させる映画だったと思います。
この場面描写や感情描写こそが支持される秘訣かなと思いました。
場面描写と感情があるからこそ「自分のことだ!」と思ってもらえる!
ドラえもんの映画もヒットしているのは自分ごととして感情移入があるからです。
情報発信やブログも同じで、売り手である自分のことではなく、お客様に自分ごととして捉えてもらう「場面描写」「感情描写」が鍵になります。
どれだけ読む側のことを理解できるか?
ドラえもんの映画は子供たちではなく、付き添いで一緒に映画を観る親世代のことを理解しているからこそ、感動を産み、ヒットになっているのだと思います。
これは、ブログも同じですよ。
どれだけ読み手側の視点になれるのか?
そんなことを考えながら、しっかり感動する映画でした。
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